2006年9月5日火曜日

鳥山昌克のこと(4. 麻雀とAKIRAと哲学書)

その部屋でぼくたちはいつも麻雀をやっていた。

面子は奴の大学の同級生や奴と同じ下宿の住人だったりした。


しかし、そういつも面子が揃うわけもないので、やがてぼくたちは二人麻雀のルールを確立する。一定数の牌を最初に取りよけてしまうのだ。

これでいつでも麻雀の真似ごとができる、という訳でぼくたちは明けても暮れても奴の部屋でジャラジャラと牌をかき回していた。


プレイヤー同士の駆け引きは、人数に対して等比級数的に逆相関するのだろうか、ひとつひとつの場は異常に長く、ぼくたちはやたらと高級な役ばかり狙っていた。

壮大な時間を無駄に過ごしたと思う。しかしそれは産みの苦しみの時間でもあった。


奴の部屋には、『ねじ式』(つげ義春)や『AKIRA』(大友克洋)に混じって哲学の本がしばしば転がっていた。

麻雀に飽きるとぼくは畳の上に寝転がり、それらの本やマンガをかたっぱしから読んでいった。


そうした本やマンガをぼくは自分では決して買わなかっただろう。

その頃のぼくはと言えば、抒情フォークサークルに所属していて、さだまさしや立原道造をこよなく愛するような青年だったからだ。

その頃奴の部屋で読んだ本がどこでどう影響したのか、やがて奴が荻窪に越してしまいぼくらが滅多に会わなくなってから、ぼくは現代思想に傾倒するようになる。それはもっとずっと後のことだ。