午後10時。部屋のドアを誰かが叩く。
開けると、薄暗い廊下に奴が立っている。
「土産、持って来たぜ」
紙袋を差し出しながら、ぼそっと言う。
「はいれよ」
心地よい静寂を破られた腹いせに、少しだけ無愛想にぼくはそう言うと、さっさと元の位置に腰をおろす。
四畳半のアパートの部屋の真ん中にコタツが置いてある。ドアに背を向けた場所がぼくの定位置であり、奴はたいていその対面に座った。
コタツの上のスタンドが、ランプのような暖かな光を投げている。ぼくの前には開かれたノートが置いてあり、たった今破られたばかりの落ちついた時間の名残りが、まだその辺に漂っている。
「クラシックに行ってきたんだ」
土産といって持ってきた紙袋を自分で破りながら、奴は言う。
「大判焼きだ。食うだろ?」
返事をする間もなくひとつ頬張る。
クラシック--。それはその頃ぼくたちが頻繁に通っていた名曲喫茶の名前だった。
「ああ」
窓の外は秋の夜。もううるさいくらいに虫が鳴いている。