「レイチェルって女性の名前だっけ?」
「そうよ」
「男性にもレイチェルって名前ない?」
「レイチェルは女性だけじゃないかしら。聖書にラケルって女性が出てくるのよね。そこからとってるのよ」
高原はもう秋の気配がしていた。
湖畔のこぎれいなレストランには、たくさんの赤とんぼが飛来していた。
ぼくたちは昼食をとりながら、五ヵ月になる娘をあやすためにかわりばんこに外へ出なければならなかった。建物の壁面にびっしりととまった赤とんぼや庭に咲いたオレンジ色の菅草の花を、ぼくは娘に見せてやっていた。
どういう訳か、ぼくはそのときまでレイチェル・カーソンを男性作家だと思っていたのだ。『沈黙の春』というその著作は知っていたし、本屋で文庫本を裏返し解説文を読んだりもしていた。だからおおよその内容は知っていたのだが、たぶんシリアスで告発的なその内容が、男性的なイメージをぼくの記憶に与えてしまったのかもしれない。
そのレストランは、室内のあちこちに詩集や写真集を置いていた。それも飾っているという風ではなく、誰が読んでもいいように無造作にテーブルの背後の棚の上に、それらは置かれていた。事実ぼくが手にしたその本も、いろんな人の手垢で汚れていた。
『センス・オブ・ワンダー』というレイチェル・カーソンの本の頁を開くと、
「雨の日は、森を歩きまわるのにはうってつけだと、かねてからわたしは思っていました」。
そんな書き出しではじまるある章が目に飛びこんできた。
『沈黙の春』のレイチェル・カーソンの印象から言って、そんな抒情的な文体に出会うとは期待していなかったのだ。ましてレイチェル・カーソンを男性だと思っていたぼくには、なおさらのことだった。
そのとき8月の高原のレストランの中で、目の前のあらゆる情景を超えてぼくの脳裏に甦ってきたのは、高校を卒業したばかりの頃にひとりで歩いた馬酔木(あせび)の森のささやきの小径のことだった。
1983年3月。奈良。
あのときは雨が降っていた。馬酔木の枝や葉を通して煙るように雨が降っていた。
そのときぼくはささやきの小径を探して歩いていたのだが、いま自分が歩いているのが、ささやきの小径だとは知らなかったのだ。
それからとても遠い場所に来たような気がした。
レストランの壁面にびっしりとまった赤とんぼを娘に見せてやりながら(レストランの中では、妻と妻の両親が食事をしながらぼくを待っていた)、ぼくは思っていた。
後悔というのではない。ぼくがよく知っていたはずのぼく自身からとても遠い場所に、いまのぼくはいるような気がした。それは夢を見ているようでいて、決して夢などではない紛れもない現在であることもぼくは知っていた。
秋になれば、また北京に行かなければならなかった。
ファミリーカーシンポジウムの第2弾として、中国部品産業育成のためのシンポジウムが10月にまた北京の同じ場所で行われることになっており、ぼくとぼくの会社はまたその仕事に首までどっぷりと浸かっていた。
ぼくの人生はいつのまにか、全く新しい世界を走りはじめたようだった。