1997年2月6日木曜日

北京の雪(Chapter5 / Tokorozawa, May.1993)

日曜日。車で公園に出かける。

航空公園駅から浦和所沢線へと折れる左折車線は、週末になると延々と車の行列がつづく。所沢市最大の航空記念公園をめざしてたくさんの人が押し寄せ、3つしかない無料駐車場はあっという間にいっぱいになってしまうからだ。


どうにか車を駐車場に押し込み、なだらかに傾斜した芝生の丘にたどり着く。

丘に寝ころんで、見るともなく人びとの姿を眺めていると、のんびりとした陽光の中で誰もがくつろいでいるのがわかる。若いカップルも、子供連れの若夫婦も、犬を連れた老夫婦も、それぞれがそれぞれの素顔の時間を心から楽しんでいるようだ。


その頃、ぼくたちは子供をつくるかどうかで意見を一致させられないでいた。「早く子供をつくりたい」という妻に対し、ぼくは何となく答えを渋っていたのだ。

結婚して半年がたったばかりだった。もうすこし2人の時間を楽しみたいという気持ちもあったが、それよりも自分が子供をもつという感覚が、もうひとつ馴染めなかった。

納得しないままに何となく「うん、いいよ」と言ってしまいたくなかったのだ。安易な気持ちで子供をもつということを決めてしまってはいけないような気がしていた。


…芝生の上で子供たちがボール遊びをしている。男の子も女の子もいる。

ふと、子供の頃のことを思い出す。それはほんの昨日のことのようですらある。

そう言えば、もう長いことキャッチボールをやっていない。小学生の頃には1日としてボールを握らない日はなかったのに。

不意にボールを受け止めるときのミットの感触を思い出す。親父から一度としてキャッチボールを教わらなかったぼくは、野球を覚えたのもずいぶん遅かった。そんな訳で仲間からすこしずつ遅れていたぼくは、どうすればバットでボールをミートできるかという感覚も、ついに完全に体得することのないまま少年時代を卒業したのだった。それでも野球は好きだった。毎日近所の路地や空き地で試合やその真似事をやっていた(人数はいつも足りなかったけれど)。


少し離れたところで若いお父さんが、よちよち歩きの子供を追いかけている。その向こうで、もう少し大きい子供にバットの振り方を教えているお父さんもいる。もし男の子が生まれたら、あんな風に一緒に野球をやるのもいいだろうな。

…誰かが言っていた。子供を育てるということは、自分の人生をもう一度生き直すことだと。

「子供、作ろうか」

気づいたとき、ぼくは隣りにいる妻に向かってそう口にしていた。