医者は最初から帝王切開にするつもりだった。逆子だったからだ。
だけどもその医者は、何故帝王切開にすべきなのか、それによってどんな危険が取り除かれるのか、そして逆にどんな危険があるのか、その可能性はどれくらいなのか、といったことをきちんと説明してくれた。
そのうえで、あなたたち自身が決断してくださいと言った。
ぼくたちは、帝王切開を選んだ。
そしてその手術の予定は、3月5日の予定だった。
ぼくは出張に出掛けるべきか出掛けないべきか悩んだ。手術予定がいつだろうと、兆候が現れたらすぐに切らなくてはならない。ぼくの出張と手術が重なってしまう可能性は十分にあった。
一方でその出張は、ぼく抜きでは考えられないものだった。その年の6月に行われる上海モーターショーの戦略案を、香港にあるトヨタ自動車のディストリビューターにプレゼンテーションしなければならなかったのだ。
ぼくは悩んだ末、日程を最小限に切り詰めたうえで、恐らくだいじょうぶだろうと考えて出張に出た。
芹奈が生まれたのは、香港に着いた日の深夜だった。