1997年2月3日月曜日

北京の雪(Chapter2 / Tokorozawa, Mar.1995)

医者は最初から帝王切開にするつもりだった。逆子だったからだ。

だけどもその医者は、何故帝王切開にすべきなのか、それによってどんな危険が取り除かれるのか、そして逆にどんな危険があるのか、その可能性はどれくらいなのか、といったことをきちんと説明してくれた。

そのうえで、あなたたち自身が決断してくださいと言った。


ぼくたちは、帝王切開を選んだ。

そしてその手術の予定は、3月5日の予定だった。

ぼくは出張に出掛けるべきか出掛けないべきか悩んだ。手術予定がいつだろうと、兆候が現れたらすぐに切らなくてはならない。ぼくの出張と手術が重なってしまう可能性は十分にあった。

一方でその出張は、ぼく抜きでは考えられないものだった。その年の6月に行われる上海モーターショーの戦略案を、香港にあるトヨタ自動車のディストリビューターにプレゼンテーションしなければならなかったのだ。

ぼくは悩んだ末、日程を最小限に切り詰めたうえで、恐らくだいじょうぶだろうと考えて出張に出た。


芹奈が生まれたのは、香港に着いた日の深夜だった。