1989年5月1日月曜日

あさりバターの青春

青春はいつも、長い坂道のようだった。


汗ばんだ夕暮れ。いつもののれんをくぐれば、ロングヘアーがはじける。ぼくたちはあさりバターの鉢をつつきながら、ざわめきのなかでふとキスをしたりした。


窓の外はまだ明るい7月。なじみの顔が通り過ぎる学生街。

ぼくたちはとても自由だったが、とても未完成だった。そのころぼくは J.デリダも G.ドゥルーズも知るはずがなくて、毎日がどろどろに溶けたバターのように流れていった。

「ねえ」

「・・・」

「あたし、きれいだと思う?」


つげ義春が背景で、 カノンがBGM。うす汚れた駅ビルのエレベータの箱の中で、ぼくたちは抱き合った。

長い時間を食べたと思う。

長い時間が

ぼくたちを内側から溶かしていった。ここちよい天然痘のように、ぼくたちは形をなくしていった。


だけど

何故気づかなかったのか。

ガトーショコラとダージリンなんかより、ぼくたちのあさりバターのほうがよっぽど幸福に近かったこと。

ぼくはとても満足していたし、

きみは今日のことに夢中だった。

ぼくは遠い明日を見つめていたが、きみは何かにあこがれていた。

そして・・・


ぼくはある日ネクタイを締め、まあたらしいスーツを着てきみの部屋に行った。

きみは2年間のアメリカ留学に発ったあとだった。


「ねえ、あたしと結婚したい?」


いつも、そうだ。

過ぎてから気づく。